義務教育で始まった試練
義務教育が始まった。
素晴らしく順応性があったのか、彼女の頑張りからか、勉強も遊びも順調でした。
お友達もたくさんいて、毎日が楽しそうでした。
ただ、自分の気持ちを押し通す事は、あまり得意ではなかったと記憶してます。
きっと、我慢しながら、自分を押し殺しながら頑張っていたんだろうな…気付いてあげれなかった。
不登校の原因なんて山ほどある、だからこそ、何が原因か突き止める必要なんて全く無いと思う。
今、子供は当時を振り返り、こんな事やあんな事があったとばぁばに伝えてくれる。
そんな事があったのに、ばぁばは何も知らないで、子供に色々小言言ってたなあ
みんな違ってみんないいなんて嘘🤥
ばぁばも学校の先生も、みんな違ってていい!って授業で教えるよね。でも、コレ嘘だから…
みんな一緒じゃなきゃ怒られるよね?
半ば軍隊みたいにみんなと同じように行進する運動会があったり、授業中よそ向いたら絶対怒られるよね⁇みんな一緒じゃないとあかんのよ、と成人したわが子から言われた。
なるほど…
ちょい賢い子供は生きづらい👶
賢い子供はなんとなく聞き流して生きていくのだろうと思います。
しかし、わが子は、えっ?先生さっきと言ってること違うんじゃない?と疑問に思う事がとても多く、とても生きづらく大変だったようです。
ウサギは白色
今の時代、ウサギが何色でも許されるのではないでしょうか?しかし、当時はそうではなかったようです。
先生は、なんでもいいから描いてくださいと指示します。
我が子は、ピンク色のウサギの絵を描いたらしい🖼
すると、1人のお友達がウサギは白色だから変!おかしい!と言ったらしい。
周りのみんなも子供の机の周りに集まり、おかしいおかしい!って言う始末。
わが子は、渋々白色に変更したものの、先生からのフォローはなかった。先生は何でもいいと言ったけど白色にしないといけないんだ。と悟ったと話します。
フィリピンの母国語は英語なの?
子供の同級生にハーフの子がいて、みんなと
うまく馴染めなかった。
ある日、先生がその子に尋ねます。
先生:英語でおはようはなんて言うの?
〇〇ちゃん:グッドモーニング…
先生:ほら、みんなも一緒にグッドモーニングと言いましょう
みんな:グッドモーニング
先生:〇〇ちゃんから色々教えてもらい、お互いを認め合いましょう!
うちの子供は普通に、フィリピンて母国語は英語じゃないのでは?
疑問に思いながらも、先生にたてつくと面倒になると思い黙っていたそうです。
〇〇ちゃんも、複雑な顔をしてたと話してくれました。
みんなより少しでも目立つと厄介なことに
どこの親も、我が子にできた子になって欲しいと思うよね。
間違っていないし、すべての親に共通するのではないかと思う。
しかし、特に女の子達の間では、少しでも🤏人よりできたり、目立ったりすることは禁忌で、槍玉に上がります。友達の中でも、いわれのないことを陰で言われたりもする。
今現在もそれは同じかと…よく、ネット上で叩かれてる人達の多くは、やっぱり人よりできるのです、素敵です、綺麗です!
我が子も、そんなに目立つ存在ではなかったと思うが、注目を集める性格ではあったようだ…
なんといっても、両親揃って、人は人、うちはうち、みんな違ってみんないいと常々言ってたんですから…いわゆる変わり者の親…
あるべきお手本がない長子は、本当に生きづらかったと思う。
今だから言えることも
なあんも知らなかった、でも、知ってたとして何もできなかっただろうと思う。
我が子は、成人した今だから言えることもあり、系統つけて考えれることもあるのだと思う。
昔を思い出して話せるようになったんだ、自分の中で昇華できたのかなあと、ちょっとだけ安心して聞けるようになりました。
不登校児を育てる親の特徴
ばぁばの子供が不登校
ばぁばの子供は不登校児でした。
きっかけは、お友達と上手くいかなくなったからだと思っていました。
だから、ばぁばは子供に、次のように言い続けました。
気にしないでいたら良い
友達の目を気にしすぎている
負けない強い気持ちをもって
などと…無駄なことを。
今の時代、転校もあり、学校に行かないこともあり、フリースクールもあり、など選択肢はいっぱいあります。
でも、当時は無かった…
親としてできることなど何もない、ただただ見守ることと勇気づけることだけだった。
辛かった…ばぁばも、子供も…
子供が不登校になる原因を分析
当時のばぁばは、子供が友達に対して気持ちが優しいから不登校になったとか、嫌がらせをされたから不登校になったと思っていました。
でも、ばぁばは、我が子の場合はそうでは無かったのだと、今更ながら思うのです。
不登校の原因として考えられること
子供に対して心配症ばぁばが過干渉になっていた
子供との距離感が近すぎた
子供自身の自己肯定感を育てていなかった
じぃじとばぁばが子育てに対して話し合いが少なかった
子供と同級生との価値観が違っていた
などが挙げられると思います。
毒親ぶり
ばぁばは、本当に毒親でした。
ばぁばは、自分の思い通りにならないとヒステリックに子供達を叱り、子供達が従うまで叱言を言い続けるのです。
子供達がばぁばに謝ってきても、簡単に許さず、ネチネチと、あなたの為に言っているとばぁばを正当化するのです。
今、思い返すと、本当に嫌なばぁばでした。
子供達は、ばぁばのような母親には育てられたくなかっただろうなあ、こんな家庭に生まれたくなかっただろうなあ…
でも、子供たちに選択肢はなかった…
ばぁばは、子供達にどれだけ謝っても許してもらえないと思っています。
時が経ち、子供達とあの頃を振り返るとき、恨み言をいっぱい言われます。
いまでは、ばぁばは、子供達に本当に悪いことをしたと、謝る事もできるようになりました。
あの時、子供達とどう接していたらよかったか
基本的な事ですが、子供達は、じぃじとばぁばの所有物ではない!という事です。
わかっているようでわかっていないじぃじとばぁばでした。
頭の中では理解しているつもりでしたが、子供たちを前にすると、なんとしても、ばぁばの思い通りにしたいという姿勢を崩せなかったのがいけなかったと思います。
じぃじもまた、仕事が忙しいことにかこつけ、育児をばぁばに任せきりにしていた、問題が起きると、ばぁばの育て方が悪いと詰るのもよくなかったと思います。
子育ては、夫婦でやらなければ…と思います。
今…あの頃のばぁばに教えてあげるとしたら
子供たちの言葉に耳を傾けて
子供達はじぃじとばぁばの子供だけど、所有物ではない、ちゃんと子供たちなりに考えながら過ごしてるんだよ
ばぁばの価値観を子供たちに押し付けては絶対にダメ👎
お姑さんや人の目を気にして子育てするものではない
甘やかすことと、干渉して過保護に育てる事は違う
黙ってみている事、待つことができるようになって
失敗だらけの子育てでした。
子供達は、じぃじとばぁばに、昔こんなこと言われた〜、本当に嫌だったと、恨み言をバンバン言ってきます。
じぃじとばぁばは、
うんうん、そうだったね〜ゴメンね~と返します。
また、あの時は…こんな気持ちだったんだよね~って言うこともあります。
昔だったら、恨み言を言う子供達に対して、
何言ってるの!生意気に!とか言って子供達に抵抗したんだろうと思いますが、
今は心から反省しながら子供達の言葉に耳を傾けることができるようになりました。
そして、家族で苦い昔の思い出話を、笑ったり怒ったりできるようになってよかった!と心から思っています。
もっと早くに気がついていたらよかったのに、とも思いますが、仕方がない…
気がつけただけでも、儲けもんと思います。
これからの人生まだまだ続きます。楽しみです!
先輩ばぁばから一言
いまお子さんが現在進行中の不登校でいらっしゃるお母さん、苦しいことと思います。
よく回りからは、明けない夜はないから〜と言われているかもしれません。
そうかもしれないけど、今、この状況が苦しいんです、助けてほしい、何とか今の状況から脱出したいと思う毎日ではないでしょうか。
よくわかります。
親の力では、どうにもならないですものね。
でも、なるようになると腹をくくって、俯瞰して子供を見てください。
子供さんは、モヤモヤしている両親を横目で見ながら、子供さん自身も苦しんでると思います。
子供の問題と親の問題は、似ていて違うもの、
割り切って、親が楽しいと思える事を探してほしい。
お母さんが、何か楽しいことを見つけたら、子供たちも楽しいこと見つけることができるかもしれない…
偉そうなこと言いました。
でも、本当の気持ちです。
あの苦しみがわかるから…
不登校児の就学前の家庭★子供達の様子と子育て
うちの子供達は、2人姉弟です。
同じように育てたつもりでしたが、それぞれ全然違う性格に育ちました🤪
どちらもかわいいですが、不登校になった娘がどんな幼少期だったか、家族を通して振り返ると、私が原因だったと気がつきます。
娘の性格
親バカですが、とても、賢く聞き分けの良い優しい子です。
大人になった今も相変わらず優しいのですが、聞き分けは、当然の如く良くありません!
2歳から幼稚園までの生活
午前中 : 自転車に乗って公園で砂場遊びやプール、おにぎりを公園で食べて、自転車でウトウト。
午後 : お昼寝をして夕方は、また、ご近所のお子さんと遊ぶ毎日でした。
雨の日: 絵本、英語版のビデオを見ながら遊ぶ、お絵かき、ハサミで工作、粘土遊び、学習教材なんかもしました。
娘の友達
習い事でのお友達やご近所のお友達と楽しく遊んでいました。
穏やかな性格で、争い事を好まないため、周りのみんなからも人気者で、取り合いの的になる事もたびたびありました。
終園後:娘は、よくお友達と約束してお宅に遊びに行ったり来たりしていました。
お友達の家で娘は、遊びの途中でも、ばぁばの所へ戻ってきてお膝の上に座ろうとしました。そんな時ばぁばは、娘は、ばぁばから離れたくないのかな?
娘がもっとのびのびとお友達と遊んだらいいのになぁと思っていました。
娘は、あの時ばぁばと離れる不安な気持ちもあったのかなぁと、今は思います。
ギュッと抱きしめて、大丈夫、みんなと楽しんでおいで!って言ってあげれたら良かったのかなあ…
息子の性格
息子は、生まれた時から、身体的に骨が弱かったため、ばぁばはとにかく神経質になりました。
娘は、面倒見もよく、優しかったため、よく息子の面倒を見ていました。
息子も、娘のことが大好きで、娘の真似ばかりしていました。時には、ヘアアクセサリーで自分の髪を飾ったりもしてました。
家にはお母さんが2人いた感じなので、息子はとても甘えん坊でした。
息子は、言葉を発しなくても…指先一つで要望すれば、なんでも思うようになるから、なかなか喋ろうとしなかった。
その事で、逆にじぃじの両親からは、息子の発語は大丈夫かと心配されてしまいました。
ばぁばは、息子と目が合うし、指示したことも伝わっていたから、心配はしなかったんだけどねぇ。
ただ、大きくなって滑舌が悪い👎のは、とても気になります。
息子は、あまり硬いものを食べなかったし、好き嫌いも多くありました。そのおかげで、顎や舌の動きが成長しなかったのかなあ…と後悔しています。
動物が大好きな娘に比べて、息子はとても臆病で、鳩や檻の中の鶏に餌をあげることすら、とても怖がっていました。
息子の友達
息子は、娘の後をついて回っていたこともあり、娘の友達やその兄弟など、たくさんの友達がいました。
ヤンチャ息子の一日の生活は、絵本、お菓子作りはもちろん、プラレール、どろんこ遊び、プール、三輪車、自転車、アスレチックなど、なんでもこなして楽しんでいました。
ただただ、遊び呆ける日々、のびのびやっておりました。
ばぁばは、きっと、娘の事で手一杯で、息子には、手が回らなかったんだろうなぁ。
じぃじの育メンぶり
じぃじは、育メンからはほど遠い人でした。
入園式にも卒園式にも、仕事の都合ということで、出席できませんでした。
子供達が生まれた頃、就職して数年経っておりましたが、転勤等で職場での不安がいっぱい、自分のことだけで精一杯だったのではないかと思います。
じぃじは、慣れない環境で朝早くに出勤して、夜は一時二時くらいに帰宅する事も頻繁でした。
当時は当たり前だったのでしょうが、残業手当もほぼほぼゼロでよく頑張っていたなあと感心します。今の時代だったら考えられないです。
そんなじぃじは、御多分にもれず、週末はダラダラと過ごしていました。
ばぁばは、毎日家事育児に追われ、お風呂に関しては、1人で2人の子供を入れたり、脱衣する時もバスタオル一枚で走り回る日々でした。
疲れ切ったばぁばは、ダラダラするじぃじに対して不満ばかり言ってました。
なんでやってくれないの?って…でも、じぃじなりに、チャリンコに乗せて電車見に連れて行ってくれたり、公園、プール、時には動物園に行くなど頑張って遊んでくれていたのです。
育メンからは、ほど遠いと思っていたじぃじに思うこと
ばぁばは、じぃじの子育てに対する姿勢に、感謝の気持ちが足りなかったなあと反省します。
あの時のじぃじに子育てを助けてくれて、ありがとう😊と言いたい…
ばぁばは、じぃじに感謝できないだけでなく、家族みんなにぶつぶつ文句ばかり言っていたから、家庭の中が不穏となり、娘は不登校になってしまったのではないかと、今は思っています。
【習い事】就学前
こどもの将来の可能性は無限大
子供は、順調に育っていきました。
じぃじとばぁば夫婦も、子育てを楽しんでいました。
のびのびと子供らしく育ってくれたらいいなあと思っていました。
ある日のこと、ご近所ママとの会話で、「今この時期にこそ、子供にやらせておくべきレッスンがあるのではないか」「うちはこんなことをやらせようと思っている」という話が持ち上がるのです。
そこで、ばぁばは血迷って、そうだそうだ!うちの子にも何かやらせてあげなきゃいけない。と思ってしまったのです。
というのも、3歳頃のうちの子は、
絵本を読んであげると文章を暗記する
パズルをしたらすぐにクリア
ハサミを使わせたら器用に線に合わせて切り取る
折り紙だって線に合わせてきっちり丁寧に折る
とまあ、何でもできるとても優秀な子供だったのです。
完全に親バカの鏡です。
多分、どこの家の子も同じで、大差ないと思うのですが…
ばぁば夫婦には、それはそれは、ドラえもんに出てくる出木杉くんにしか思えなかったのです。
じぃじに習い事の事を相談すると、いいんじゃないか?という援護射撃までいただいてしまいます。
ばぁば夫婦は、子供の将来のために、なるべく早いうちから何か学ばせようと
リトミック、ピアノ、スイミング、絵画教室
をはじめとして、通信教育や、学習教材にまで手を出してしまいました。
当時、週3回は、習い事をさせていました。
これが、子育て1番最初のつまづきでした。
大きな勘違い
うちの子のような優秀な子なら、すべてにおいて平均以上にこなすだろうと、思っていました。
でも、よーく考えたらわかることなのです。
カエルの子は、カエルなんだと…
子供のやる気は、長くは続かない
子供は集中力が途絶えたり、途中飽きたりすることもあります。
でもばぁばは、そんなことは認めない、真面目にやってよ!こんなにお金使ってるんだから!などと思い、子供を叱りつけながら、なんとかやらせてしまったのです。
容赦なく叱る様は、昔、ばぁばが見ていた自分の母親とそっくりだった😂ことに気づいていなかったのです。
ばぁばは当初、子供達が楽しくお勉強して、ついでに学習能力を高めれたら良いなぁくらいに思っていました。
でも、ばぁばはある日大変貌するのです。
子供達がばぁばの思うようにしないと、
何で習ってきたことやらないの?
早くピアノに向かってよ!
学習教材やってよ!
などと感情をむきだしに怒り散らしてしまうのでした。
その結果、子供はやる気をなくした
体験コースを経験させ、子供達が楽しそうだからちょっとやってみようかな?と言うや否や入会し、レッスンが始まります。
でも、子供達が少しでもダラけると、ばぁばがしゃかりきに頑張るようにいい、ばぁばの言う通りにやらないと子供達は叱られることもしばしばありました。
ということで、子供達はやる気をなくし、やめたくなるのでした。
思い起こせば、子供達はばぁばに叱られて、ばぁばの顔色を見ながら、渋々泣きながらやっていたのです😂
今、ばぁばは思う
産まれた時は、とにかく元気に育ってくれたら良いと思ってました。
なのに、どうしてあんなに小さい時から、たくさんの習い事させてしまったのか?
いまは、子供達にとても悪い事をしたなあと悔やんでます。
あの時間を、公園や市営プールで一緒に遊んでやったり、おままごとで色んなお菓子作りして楽しめたのに…と。
ばぁばは、子供達と全く遊ばなかったわけではないのです。
こいや鳩に餌をあげたり、アスレチックのある公園で遊んだり、ホットケーキを一緒に焼いたりもしましたが、それがチャラになるくらい子供達を叱ってもいました。
よく教育分野の先生は、子供を樹木に例えて
大地にしっかりと根を張れるような育て方をした方が、心が安定して、一回りも二回りも大きくなれるとおっしゃいます。
でも、当時のばぁばには、その言葉に耳を傾け動くことができなかったのです。
教育分野の先生が言われるようにしても、長くは続かないのです。
うちの子供たちは、今日のばぁばと昨日のばぁばは言ってることが違う、どっちのばぁばがホントのこと言ってるの?って随分惑わされたことと思います。
ぶれぶれの子育てのせいで子供達の心を傷つけてしまいました。
当時ばぁばは、子供達を何でもこなすお利口さんに育てなきゃいけない
しゅうとめから子育ての事で口出しされたくない
という思いでいっぱいでした。
正解の子育て方法がわからない焦りの中で、右往左往していました。
ばぁばもまた、毒親になるような環境の中で育っていたので、どう接したら良いのかわからなかったのです。
そんな中でも子供たちは、ばぁばの顔色を伺いながら必死に頑張っていました。
かわいい寝顔を見ながら、今日も叱ってしまった、こんなばぁばでごめんなさい。
と反省する日々でした。
ばぁばから子育て中のママに伝えたい
カエルの子はカエル🐸
トンビは鷹🦅を生まない。
と、よーく肝に銘じて今あるお子さんとの時間を大切に、思う存分楽しんで欲しいとばぁばは願います。
そうすることで、もしかしたら、鷹のように成長することもあるかもしれないです。
この時期の子供は、お勉強をするのではなく、
楽しく身体を動かす
お料理を一緒にする
土いじりをする
動物と触れ合うなど
五感を鍛えるべく、経験を積んだ方がいいと思います。
そうすることが、子供の成長を促してくれるのではないでしょうか。
ぜひ、お子さんと一緒に毎日を楽しんで欲しいと願わずにはいられません。
だって、ばぁばが今でも後悔しているから(*_*;
子育てで大事なポイントは、子ども自身が楽しむ事、考える事、そして、お母さんがニコニコ顔でいることなんじゃないかなぁ
なぁんていってみたけど、難しいですよね。
はじめまして、私たちの宝物
生まれてきてくれてありがとう
はじめまして、あなたのママです。
陣痛が強い割には、子宮口がなかなか開いてくれなくてとても、辛いお産でした。
娘もなかなか世にでてこれず、とても苦しかったのでしょう、どこからどこまでが頭かおでこかわからず、更には髪の毛もまばらな女の子、カエルのような顔🐸だった。
とてつもなく、いとおしかったのを覚えています。
じぃじのお産に対する気持ち
立ち合い分娩はグロすぎて嫌だとずっと言っていたけど、分娩ギリギリになり助産師さんの勧めもあって、立ち合うはめになってしまった、嫌々ながら立ち合い、でも、喜んでくれた、嬉しかったんだと思う。
分娩前は、頼めば腰を2.3回さすってはくれましたが、すぐにやめてしまう、また頼まれたらやってやるか?くらいの思いやりでした。
顔が見えないと、海のものとも山のものともわからず、一緒に頑張ろう!とは、思えなかったようです。
多分、慣れない職場と病院までの遠距離運転で疲れ果てていたのでしょう。
ばぁばのお産に対する気持ち
ちょっと、ちょっと、あなた、もっと腰をさすってくださらない?
めちゃくちゃ私は、苦しいんだけど、あなたは頼まなきゃ気遣えないの⁇
ホントにあなたの頭の中どうなってんのよ〜
あなたが、かわりに産んでくれたらいいのに〜
2度とお産はしないぞ~
などと思いつつ、なんとか無事に出産できて、ホッとしたのを思い出します。
子宮壁まで切れて、あんなに痛く苦しかったけど、めちゃくちゃ嬉しかった、元気に生まれてきてくれてありがとう…
あの時のじぃじに対して思う事
きっと、お産に間に合うよう、仕事終わって、大急ぎで遠距離運転して、ヘロヘロだったんだよね?
でも、ばぁばは自分の辛いことばかりに気持ちが向いてて、じぃじの大変さを思いやれなかったんです。ごめんなさい😭
じぃじも、疲れてヘロヘロだと言ってくれたらいいのに、これまた男たるもの、弱音を吐いてはいけないと思っていたのでしょう。
言葉数が少ないだけに、ばぁばにはじぃじの気持ちが全く伝わっていなかった。
今は、若気の至りなのか、じぃじとばぁば、2人ともが子供だったせいで、お互いを思いやる気持ちがちょっとだけ足りなかったなぁと思います。
しゅうとめとの確執
じぃじの実家に行きたくない💔
じぃじとばぁばはいつも、じぃじの実家訪問の際、いつも喧嘩になりました。
結婚当時は、月に1回訪問するよう義実家からの命令があったのです。
ばぁばが行く、行かない、行きたくないなどと言う→
頼むから行ってくれとじぃじが懇願する→
ばぁばは、しぶしぶ実家に連行されることになる。
という一連の流れがありました。
何故行きたくないのか。それは…
しゅうとめから言われた悪口の数々に耐えられない😂
孫が産まれた時、嘘をついて孫に会いに来なかった
孫は少しも可愛くないのに、親であるあなた達はかわいいと思えるんだね
外孫はなんでもこなして出来がいいが、内孫は出来が悪い、
種=じぃじはいいけど、畑=ばぁばが悪い のが原因
どうしたらこんな孫に育つんだろう、ばぁばの育て方が悪い
孫はお礼も言えないように育っている
実際には、しゅうとめにお礼を言っていたのですが、土下座してお礼を言わないとお礼を言ったことにはならないと、後になって知ることになるのでした。
などなど、言い出したら止まらないです。
あの頃のばぁばの気持ち
会うたびに、ばぁばや孫の悪口を言われてホント怖かったわ〜、今日は何を言われるんだろうって。
しゅうとめに寄り添うように、波風立たないようにばぁばは頑張りましたが、嫁として認めてもらえることはありませんでした。
私に対する悪口だけなら、我慢もできましたが、孫に対して言われるのは、ホントに悲しくて辛かった。
じぃじにも辛いという気持ちを話したけど、なんの解決にもならなかった。
でも、じぃじはこっそり、しゅうとめに嫁や孫を可愛がってあげて欲しいと話してくれていたのです。
ばぁばは、そのことをずっと後になってから知ることになるのですが…
じぃじがそんなふうに、かばってくれていることを、何も知らないばぁばは、しゅうとめからのいじめにヘロヘロになっていきました。
何でだろうとじぃじに相談しました。
じぃじは何事もなかったようにばぁばと接していましたが、実際には、じぃじは、しゅうとめに言ってもムダなのだと感じ、しゅうとめとあまり話さないようになったのです。
本当に義実家に行きたくなかった。
もしかしたら、ばぁばと同じような気持ちの方が、今の時代にもいるのかもしれないな。
じぃじがとった、その当時の対応
じぃじは、嫁姑の仲を取り持つべく、人生初のつまづきに頭を悩ましていたことと思います。
じぃじは、先輩であるじぃじのお父さんにも相談できずにいました。
由緒正しいお家柄の長男としてどう動くべきか
嫁を守るべき夫としてどう母親と接したらいいのか
悩みに悩んで一つの解決策を考えだしました。
こともあろうに、自分の母親とばぁばが、会話をたくさん持つことで理解し会えるのではないかと思いついたのでした。
結論、もっと、会話ができるよう会うことが大切!
じぃじは、ばぁばが愚痴ったら、「しゅうとめはそんなつもりで言ってないよー」としゅうとめのフォローすることに徹底しました。
その結果、ドツボにハマることになる。
「えー?じぃじは、一体しゅうとめとばぁばのどっちの味方なの?」
「あれは、しゅうとめの確信犯だって…」
とばぁばから、責め立てられることになってしまいました。
どんどん嫁姑の関係性は悪化し、最後には夫婦の危機が目前に…
2人目を身ごもった頃、ばぁばは離婚届を役所にもらいに行きました。じぃじは、サインを拒否しました。
当時、離婚届にサインをしなかった、じぃじの温厚かつ、ばぁばや子供達に対する深い愛情のおかげで、今も夫婦2人は仲良く暮らしております。
じぃじ、あの時、離婚届のサインを拒否してくれてありがとう😊
あの時、こうしていたら楽だっだと思う
何年も経ってから知ったことですが、じぃじは、事あるごとにしゅうとめに嫁に対して、気を配るように話していたようです。
ばぁばが、じぃじに愚痴をこぼす前からずっと、しゅうとめに忠告してくれていたんです。知らなかった、ありがとう。
でも、ばぁばには、わかるはず無いのです。
黙っているだけでは、ばぁばに伝わらない😂
しゅうとめは、可愛くて可愛くて仕方がない大事なじぃじをばぁばが奪い取ったとしか思えなかったんです。
そして、大事なじぃじがばぁばの味方をしている→
なんて事だ→
ばぁばが憎い→
ばぁばが産んだ孫は可愛くない
というスパイラルに陥ることになっていったのです。
本当怖いですよね。
でも、視点を変えたら、じぃじさえ義実家に来てくれたらそれで良かったのです。
ばぁばの顔なんて見たくないけど、ご近所さんの手前、少しは義実家訪問して欲しい、そんな気持ちだったにちがいない。
ばぁばは、それに答えるだけでよかったのです。
今のばぁばなら、たまに訪問する、そんな対応をしていた事でしょう。
今日は頭が痛いからじぃじだけ行ってくれるかな?
次回は行くから、今日だけはごめんね〜って。
じぃじには、ばぁばの気持ちを悟られないようにしていたらパーフェクトだったと思う。
しゅうとめと正面からぶつかっても、何一つ良いことなどない…
と学んだのは、それからずいぶん先のこと。
ホントに、お子ちゃまなばぁばでした。
世に悩めるお嫁さんがいたら、是非参考にしてくださいね。
自粛中に娘とひとやすみ
コロナの影響で、海外に出ていた娘が帰国しました。
外出自粛の時間を有意義に過ごしています。
お土産のお菓子をお皿によそって、ジャズをかけるだけで、混沌とした今の現状から抜け出せそうな気持ちになります。
あの頃は、娘とこんなにゆったりとした時間が過ごせるなんて思っていなかった。
あの時、離婚届にサインせず、ばあばと共に歩んでくれたじぃじに、今では感謝の気持ちでいっぱいです。
じぃじはこんな家庭で大きくなった
子育てのことを話す前に、夫の性格について言及してみます。
夫(じぃじ)はこんな性格
義理の両親は、夫であるじぃじのことを、運動神経もよく、頭脳明晰で自慢のおぼっちゃま、どこに出しても恥ずかしくないと思っていたようですが、本人はとても神経質で繊細な心の持ち主です。
私は、夫の無口で優しく、まじめで向上心が高く、利発なところにひかれ嫁ぎました。
しかし、無口なだけにその優しさが伝わらず、嫁姑問題が起こった時には、夫がどちらの味方になっているのか敵か味方かわからず、けんかすることもたびたびありました(*_*;
反面、プライドが高く負けず嫌い、何に対しても一生懸命に取り組むことで、自分の思い通りになること、評価を受けることが親になるまでは多かったと思います。
じぃじは待つこと、我慢することがいささか苦手のようで、何事にも煽ってくる傾向がありました。
そのことから最近では、もしかしたらじぃじは発達障害の傾向があるのかもしれないと疑っております。
じぃじはお育ちがよろしかったようで
じぃじは、山や田畑に囲まれた田舎で、由緒正しいお家柄の長男として、厳格にそして、とても大切に育てられた・・・と聞いております。
じぃじを育てた姑が守り続けたもの
由緒正しいお家柄の姑は、先祖から受け継いだ昔からの土地などを減らすことなく守り続けることだけに魂をかけていたのです。
新しいことは一切認めず、今ある財産(山、田畑、物)を大切に守る。
我が家が、村一番の由緒正しい家、我が家に刃向かうものはどこにもいないと思っておられたようです。
もちろん、しゅうとめ、子供、嫁である私までもが絶対服従するものだと信じて疑わなかったのです。しゅうとめもまた、同じように考えていたようです。
そんな姑夫婦に育てられたら、じいじもそれはそれは、裸の王様にもなりましょうよ。
守りを固めたじぃじが 家庭をもった
じぃじは、姑からできる男でなければならない、男は弱音を吐いてはいけないと幼少時から教えられ、会社で起こった数々の不平不満は家庭内へ持ち込まないことを死守していました。
家族はじぃじの異変に気付くすべもなく、のほほんと暮らしていたため、じぃじが悩んでいることがあっても何も気づかず幸せな日々を送っていました。
でも、何かのタイミングでじいじのスイッチが入ると、家族は叱られることもたびたびありました。
そんなじぃじに翻弄されて、何度も会社のことで不平不満があり、何か言いたいことあったら話してほしいとお願いしましたが、男は外であった出来事を愚痴るものではないと一点張りで、妻の私に話してくれることはありませんでした。
家族なのになぜ問題を共有できないのか、黙られたあげく家族にあたられることが、思い返すと本当につらかったです。
じぃじはいつの時代を生きているのか、こんなにかたくなに親の言いつけを守っているなんてと思うことが度々ありました。
じぃじの変貌
じぃじは人生を間違えることもなく、つまずくこともなく歩んできたのですが、子供が不登校になった時には、自分の力では解決できない、どうしてこんなことになってしまったのか受け入れがたいことだったのではないかと思います。
私たち夫婦はとても悩み、相談や会話を続けた結果、子供は不登校から抜け出すことができました。
じぃじが年を取ったことや、仕事にも余裕が出てきたことで、今では慌てない、待つことができるようになり、家族と笑顔で話せる時間が増えたように思います。
でも私は、この田舎の閉鎖的な環境が、アダルトチルドレンなじぃじを育てたのだと考えます。